(取材インタビュー『まんがのほし』編集部)
――ではお願いします。まず今回電子書籍で、『大東京ビンボー生活マニュアル』を、単行本未収録作品を三本。もう一点『ぼくの駅弁漂流記』も一緒にリリースさせていただくことになりまして、この2冊について、うかがえたらと思います。
まずは、大東京ビンボー生活マニュアルの、最初の企画の成り立ちみたいなのについて、最初どんなかんじでスタートされたんですか・・・。
前川: 最初はもう単発で何か描いてくれって言われたので、それで何か描こうと思ったんですけれど、ページ数がなかったので、学生の頃のだいたいこう記憶に残る生活みたいなのを、ビンボー生活カタログでしたっけ?
――カタログですね。もともと、カタログっていうタイトルだったんでしたっけ?
前川: そうです。最初は連載ってことじゃなかったんで、まあそれで、いちおう。
――最初にカタログを出されて、それは何話くらいですか。
前川: 最初だけですよ、カタログ。たしか。あれ?カタログが掲載されたあとに編集長が面白いから連載に出来ないかって言われて、その後からカタログじゃなくてタイトルだけマニュアルにして。
――それは、マニュアルを入れていこうってかんじだったんですか。
前川: そのへんはよく覚えてないですけどなんか・・・。まあ編集者の意向でマニュアルってことになって、その結果、こんな生活がある、みたいなのを描いていけばいいんじゃないのかなあっていう、そういう企画に変わっちゃったんで、急遽そういうマニュアルってことで・・・(笑)。
――それでマニュアルになったんですね。
前川: そうですね、もう、連載が決まったときにはマニュアル。
――マニュアルが入ってるような、ないようなかんじですよね。
前川: そうですね、基本的にこの主人公の日々の。まあ歳時記っていうんですかね。
その季節季節の色々なものを取り入れながら、まあ漫画の歳時記みたいなかんじでやっていこうかな、と。結局そんな形になりました。
――色々なネタとして、ほか弁とか牛丼とかその辺がすごく有名だと思うんですけれど。
前川: そうですね、最初の頃だったんで、ネタ的にそんなもんしかなかったのかなあと。
――もう身近なところで・・・。
前川: そうですね、もう少し最初コミカルなかんじで描こうと思ってたんですけれど、いつの間にかこう。彼女が出てきたりとか。
――この彼女が出てきたのは、それは編集のほうの意向ですか?
前川: いや、最初に彼女が・・・あれ、カタログでも出ましたか?
――カタログにも出てましたね。たしか。
前川: その彼女がいいかんじなんで、そんなにベタベタしないし、この主人公にはいいような、しかしなんかこんな貧乏なヤツにこんな彼女がいるわけないという、そういうギャップも結構おもしろいかなあという・・・。いちおうその彼女との関係を保ちつつ・・・。意外に彼女のファンもいらっしゃって。
――そうですね、彼女のファンの人が。
前川: そんな彼女みたいな人がいたらいいなあみたいな。
――希望があるんですかね。
前川: そうですね。
――この連載モーニングで当時1980年代後半ですよね。
前川: そうですね、たぶん。そうだったと思いますけど。
――他にどんな連載がありましたか?
前川: 『ホワッツマイケル』とか。『ごきちゃん』の。須賀原洋行先生。かわぐちかいじ先生、わたせせいぞう先生とか、あと『ツヨシしっかりしなさい』とか。
印象深かったのは、わたせせいぞう先生の作品と結構このビンボーと対比する形で一緒に載ってたことですね。車とか、街の、当時その、ナウいって言っちゃなんですけど。そういう。
――わたせせいぞう先生をライバル視していたとかありますか。意識されてるとか。
前川: いやそんな恐れ多い・・・。ただ、えーすごいなとか、これが今時の若者のスタイルを見事に描いてるなみたいな、わたしはそう思ってましたけど。
――不思議な雑誌でしたね。僕も読んでたんですけど、わたせせいぞうと大東京が一緒に入ってて。
前川: そうですねなんかバラエティに富んでいたような気がします。
――わたせ先生の人気とか意識されてたりとか。
前川: いえいえ、わたせさんには技量も何も及びませんし、私は絵の学校を出ているわけでもないので、ホントみなさん上手だな・・・と。でも私には私の絵しか描けませんし・・・。
――編集からなんか言われたりとかもなかったですか。
前川: なかったですね。
――モーニングで連載されてた時の裏話みたいなのも伺えたら、みんな当時の方は興味があるのかなって。
前川: 裏話ですか。
――編集部の裏話みたいなのがあれば。当時の、90年代の。
前川: 裏話・・・それはないんですけど・・・。
編集長が怖かったぐらいで。怖いというか、梶原一騎と喧嘩したようなすごい人だったんです。
――それ、描きなおしは、担当の人? 編集長ですか?
前川: まあ編集長もそうですけど、担当の方も・・・。
――とにかく、絵を。
前川: まあ内容のほうがそんなないんで。ページ数も4ページくらいなんで。自分でもそうは思ってましたけど。やっぱり描き込まなきゃ、みたいな。
――描き込みがすごいですよね。
前川: そうですよね、最初の頃はもう本当に。まあ、他に仕事がそんなになかったっていうのあるんですけれど。
――全部アシスタントさんもなく描いてるんですか。
前川: なかったですね。
――淡々と描かれてたんですか。
前川: もう連載続けるので精一杯みたいな。
――結局どれくらい続いたんですか。
前川: どれくらいですかねえ。3年か4年か。
――4年くらいですね。
前川: ですね。一ヶ月4本ですよね年にしたらだいたい・・。
――アシスタントは?
前川: 全然いなかったんで。4ページだったんで。そのかわり絵を描き込んでって言われてたんで。
――それはどうなんですか。
前川: なんか、話があってないような漫画なので、とにかく絵を描き込まないといけないって編集者からきつく言われてたんですよ。
――それで描き込みを結構言われて、直しとかありました?
前川: 直し自体はそんなになかったと思いますが、週刊だったんで、そんなに時間的にもなかったんで、次回はもうちょっと描き込むように、と。
最後のほうは本当に忙しくなっちゃって、描き込みたくても体も気持ちもついていかない、みたいな。それで結局、終わっていったようなかんじですね。
――終わっていったっていうか、忙しくなって。
前川: そうなんですよ、いろいろ引き受けちゃって。
――他の雑誌とかも引き受けちゃってってかんじですか。
前川: そうですね、当時小学館とかもやってて。あれは週刊だったかなあ。
――なんてタイトルですか。
前川: 票田のトラクターとか。
――1990年ってほかにもたくさん描かれてますよね。
前川: そうですね、あと新しく新聞、日刊アスカ、あれ、しんどかったですね。
――飛鳥新社の新聞で、夕刊ですよね。
前川: そうなんですよ、結構長いやつを。
――あれで連載されてたんですか。
前川: あれはね、でもすぐ終わっちゃったんですよ。
――『磯野家の謎』が爆発的に売れたんですよね。それで夕刊紙を始めることになったとなにかで読みました。
前川: そうなんですよなんかねえ。なんだったかなあ、あれ。
――いろいろやってたんですね。ああそうだ、霞が関のフリーメイソン。
前川: そうそうそう。なんか、官僚の話ですよ。それも、票田と同じ原作の人なんですよ。その人、なんかこう、原作自体がすごいんですよ。会話で成り立ってるようなかんじで。
しかも票田のはあんまりページ数がないのに原作がすごくて、セリフもなるべく省かないで・・・と言われたんで。言ったことがあるんですよ、もうちょっとセリフを減らしてもらうことはできないだろうかって。
わたしも一、二回くらいしかお会いしたことがないんですよ。これ、テレビドラマになりましたね。タイトルは違いますけど。えーなんだったかな。日テレの『レッツ・ゴー!永田町』。
ちょうど小泉さんがフィーバーの頃で。
――『大東京』も何度もドラマ化の話があったんですよね。
前川: 何度もでもないですけど、ドラマ化の話が一回と、あと映画化の話はありましたけど。映画化は最初の段階で、むこうの企画自体がなくなっちゃったみたいなかんじですね。
それでドラマ化も脚本が・・・。編集長がいやこれはこのドラマをやっちゃうと漫画の良さがなくなっちゃうからダメだって。ほぼドラマ化寸前までいったんですけれどダメだったんですよ。
こんなのダメだって、鶴の一声で。
――前川さんはやりたかったんですか?
前川: いや、やりたかったっていうか、もちろんドラマになったら嬉しいなっていうのはありましたけど。
ただやっぱり漫画の主人公のキャラ的にちょっと違うし、漫画とはまた別の話になってしまうような気がしたのも確かです。
――誰がやることになってたんですか。脚本とか主人公とか。
前川: 主人公はまだ決まってなかったです。脚本は・・・えーと、あっ市川森一さんです。
――絶好調の時すごい人気ありましたよね。
前川: そうですね、すごい期間が短かったんですけれど。
――だいたい絶好調のときはランクもかなり上の方だったんですか。
前川: そうですね。表紙も一回描かせてもらったりして。
――その頃は特にプレッシャーとかあまりなかったですか。
前川: いや、プレッシャーは特になかったですけど。とにかく描かなくちゃいっぱい、というかんじですね。
――とにかくたくさん描き込むしかないっていうことなんですね。
前川: 最初の担当の人が結構色々アイディアを持ってきてくれる人だったんですけれど、途中で変わっちゃったんですよ。
二番目の方もよかったんですけれど、そのあと色々担当の方変わっちゃったんで、自分の中でもちょっと混乱というか、モチベーションも・・・。
――ああそうですか。じゃあ何人も変わったんですね。
前川: 変わりましたね。
――この漫画には、今はちょっとないようなものが出てきますよね。
前川: 少しね。
――ポットとか。
前川: 私は使ってましたけどね。
――昔使ってましたね。こういう、電気ポット。
前川: もうないんですかね。
――今はどうなんですかね。あるんですかね。
前川: 若い人はガスでお湯を沸かしちゃうみたいだから。私の時はほんとうに水しかなかったですからね。ガス台なんかもついてなかったし。
――下宿とかはされてたんでしたっけ。
前川: そうですね。
――じゃあその時の事を思い出されて。どのへんでされてたんですか。
前川: 下宿は最初、予備校の時から、その時は何人かで、そこの大家さんが作って、最初に食べるみたいなかんじだったんですけれど、その後は独り暮らししてからは、本当にポットくらいしか持ってなかったし。
――このコースケが住んでるアパートのモデルっていうのは、実在するモデルとかってあるんでしょうか。
前川: いや、特にないですけど。だいたいそんななんにもない部屋だったんで、はい。
――これは場所はどのへんですか。
前川: だいたい世田谷の烏山とか。あのへんのイメージで。あるいは杉並の高円寺とか。新宿から西のほうですね。
――川とか出てきますが。
前川: それは隅田川ですね。それは浅草に行ったっていう設定なんです。
――そうですね、色々出てきますね。これはどこですか。東京ですか。
前川: これは渋谷です。もうないですかね。歩道橋があってそんなかんじだったので。NHKの裏。
――名画座とかもいっぱい出てくるんで。
前川: 名画座もいっぱいありましたけど、いまないですし。
――当時の80年代後半のカルチャーが色々出てきているので。
前川: 飯田橋にはこの前ちょっと外から見たら名画座が残ってましたね。行列が出来てました。あとは池袋文芸座とか。
――あれはもうなくなりました。
前川: なくなりましたね。大塚にもなにかあったんですけど。
――当時名画座がいっぱいあったんですね。
前川: ありましたね。
もうずいぶんなくなりましたね。
――人が入んないんですかね。
前川: 入んないんじゃないですかね。私が住んでる所にもホールがあって、そこの地下に小さい映画館があるんですよ、そこはもう本当に今やってる、封切りされてる映画をやってるんですけど、たまに昔のものを集めて、古い映画を纏めてやったりする時があるんですけど、そういうのはやっぱりお年寄りが多いんですよね、昭和の頃の。それこそ高倉健とかそういう。
――高倉健とか好きなんですか。
前川: いや特に好きっていうわけではないんですけど。僕は監督でいうと小津安二郎が好きなんです。
小津の映画はハシゴとかして色々観て回って、だいたい観たんですけど、1本くらい観てないのがあったような気がするなあ。
――小津安二郎は漫画に影響とかありますか。
前川: 直接影響してるかどうかはわからないんですけど。
――なんか、空気が出てますよね。
前川: そうですかね。小津の映画はなんでもない日常の仕草みたいなのがすごい丁寧に描かれてて、あらためて日本人の普段のこう、ただ立ったり歩いたりそういう仕草がこんなに美しいのか、みたいな。感動したことがありますけど。
――どんな映画が好きですか。小津安二郎の映画では。
前川: やっぱり最初は東京物語を観ましたけど。あとは晩春とか色々。
――あと秋刀魚の味でしたっけ。
前川: 秋刀魚の味もそうですね。色々ありましたけど。小早川家の秋もいいですね・・・。だいたい観ましたね。初期の頃では『大学は出たけれど』とか、観ましたけど。
――話は変わりますけど、いまビンボー生活マニュアルを読み返してみてどうでしょうか。
前川: そうですねー。今はもうあんまりこういう生活する人はいないだろうなと思うんで。どんな人が読んでるか、それは興味がありますけど。
やっぱり懐かしんで読んでくれる人もいるでしょうけど、若い人にはわりと新しくうつるのかなあっていうふうに・・・、まあこれは個人的な感想ですけど。
――逆に彼女が出来そうにない若い人が読んだら、羨ましいと思うかもしれないですね。もしかしたら俺にも出来るかも、みたいな。
前川: でも今の若者はバーチャルな女性に恋しちゃう理解しがたい人も増えているので・・・。
漫画のほうはたまたまこうなっちゃったんですけど。そういうのは別に意識しないで。彼女が来たら面白いかなって。最初はちょっと主人公も滑稽なかんじですよね。
――彼女はもう普通の娘さんてかんじですよね。
前川: そうです。でもどこかでこう距離を置いてる感じで。つかず離れずみたいな。
――特に目立ったラブシーンとかもないですよね。
前川: ないですね。はい。それはなしにして。
――それは編集のほうからもそんななくてもいいとか言われたんですか。
前川: はっきり言われたわけじゃないですけど、だいたい彼女はこんなかんじでいいんじゃないのかと。この距離感がいいと・・・、いつのまにかそんなかんじになっちゃったんで。
――特にベタベタしたりはしないんですね。
前川: あんまりベタベタしちゃうと、また違う漫画になっちゃいそうで。
――そうですね。
前川: 主人公のキャラクターがなんか変わってきちゃいそうな気がして。
――あっさりしてますね。これ。
前川: そうですね。だから続編で結婚しちゃったことにしてみたいな、確かにあったのかなそのへん。
でもやっぱりにょろっときちゃうと抵抗があったんで、でも仕事もなかったので引き受けちゃったんですけれど。だからあれでしたね。
――新大東京物語。これはなんで、ちなみに、やめられたというかんじなんでしょうか。それは結構読みたい人が多いと思うんですけど。
前川: でも私自身はあんまり。
――封印したいかんじですか。
前川: そうですね、ナシにしてくれないかと。描かなければよかった・・・こんなこと言ったら当時連載させていただいた出版社には失礼ですが・・・。
――でも単行本一冊ぶんくらいにはなってますよね。
前川: いやそんなになってないと思いますね。そんなに続かなかったような気がするんですよ。
ああもう単純に、ネタ的にもあんまりなくなっちゃったし、あまり集中できなくなってきちゃって。
――その前にバクとコムギとか他にもやってらっしゃるんですか。
前川: あれ、バクとコムギは同時期でしたっけ?その辺はよく覚えてないんですけど。
――モーニングパーティーで、バクとコムギを1991年からやられてるんですよ。それで大東京ビンボー生活マニュアルが1987年から1990年くらいなんですよ。
前川: ああそうでしたっけ。じゃあ終わってからやったんだ。
――それであとは。
前川: その時はなんか結婚したのかなあ。
――えーっと、前川さんが?
前川: ちょっとかみさんとの関係みたいなのをバクとコムギというような形で描いたような気がしないでもない・・・。かみさんの田舎に何人か面白いおじさんがいたんで、そういう人を登場させたり・・・。
――バクとコムギと。それからまあ今回もうひとつの、ぼくの駅弁漂流記。
前川: あ、駅弁はいつくらいでしたっけ。ぜんぜん前後さえ・・・。
――1990年なんですよ。
前川: 90年でしたっけ。その後でしたっけ。それ双葉社から。それもでもタイトルは駅弁漂流記ですけれどあんまり駅弁の話は出てこないんですよ。最初だけ駅弁の話してたんですけど、あんまり駅弁の話は・・・。
でもいま駅弁の漫画色々出てますよね?当時やっとけばちょっと売れたかなって思うんですけど。駅弁よりも風景とかのほうが興味が出て来ちゃって。そうしたらいろんな土地をこう。
――徒然に色々なところに。
前川: そうなんですよ。そんな話になっちゃって。色がカラーだったんで。風景なんかもちょっと綺麗に描きたいなあと。
――カラーたいへんだったんじゃないですか。
前川: あーでも結構好きだったんで。色をつけたり。
――これは大判で出てたんですね。
前川: そうですね。
――これはなんかいいですね。自分で自転車や電車乗って散歩して。
前川: わりと大き目なのが。
――前川さんの中で、ぼくの駅弁漂流記は今思い出してどんな印象ですか。
前川: どうですかねえ。やっぱりそれもページ的にそんなになかったんで、実際描くのは楽しかったっていう、そういう思い出のほうが大きいですかね。
――ああじゃあ描くのが楽しいと。
前川: どっちかっていうと描くのが好きなんであんまり話を作ったりとか得意じゃないんで。今回もこの表紙描かせていただいて、描いてるときは楽しかったですね。
――今回の漫画(『思い出食堂』ぶんか社巻頭漫画)も、駅弁漂流記とわりと地つなぎみたいなかんじですね。今回のと。地つなぎというか、市場がある街ですよね。
前川: それは私の田舎をちょっと思い出して。実際にこういうまゆ市場みたいなのがあったんで。
――これは久しぶりの描きおろしじゃないですか。
前川: そうですね。時間的にわたしほらバイトとかやってるんで、どうしても時間が足りなくなっちゃって、次男に背景とか手伝ってもらって。ここらへんも彼に描かせたりしてますよ。
――90年代からは、話が飛ぶんですけど、フリーメイソンとかトラクターとかラストオーダーとか、ストーリーものになっていきますよね。
前川: そうですかね。うーん。それもまあ原作があったりとかなんで。ラストオーダーも、本当はお酒とか得意じゃないしそんなに好きじゃなかったんですけど、
実際にカクテルの専門家みたいな人がいて、その人がレシピみたいなのを描いてよこしたみたいなんですよ、それをもとに漫画にして、はい。だから当時はカクテルなんか随分詳しくなりましたよ。
今はすっかり忘れちゃいましたけど・・・。
――ああそうですか。領収書物語のあたりも・・・。
前川: それも原作の人がいて・・・。その人とはわりとなんかこう合うっていうか、お話しをしててもなんか。
――領収書物語は面白いですよね。
前川: そうですね、いちおうドラマ化になってるんですよ。連続ドラマじゃないですけど。
――トラクターもドラマになったんですよね。票田の。
前川さんから見て、印象的な作品を5つ選ぶとしたらどうでしょうか。
前川: 印象的ですか。ビンボーは特にいちばん売れたんで、それはそうなんですけど、あと、あ、デビューしたのが僕は四コマなんでよね。それは単行本にはならなかったんですけど、忍者無芸帖っていう、芸がないで無芸です。忍者無芸帖。それでデビューしたんです。
――どこで描かれたんでしたっけ。
前川: それは辰巳出版です。僕知らないで最初芳文社とか持ち込みに行ってたんですけど、全然だめで、たまたま新宿歩いててもう帰ろうかなって思ってたら辰巳出版っていうのがあって、
その時にそこから出ている雑誌が飾ってあったんですよ。それでなんかちょっとエロっぽいけどいちおう四コマも載ってるから、見てもらおうと思って。
そうしたら編集の人が、君、面白いじゃないか!次号に載せるよって。それでそのまま載せてもらって。
――それが、デビューなんですね。
そうですね、デビューっていうとそれなんですけど。
――それからモーニングにうつったのは。
前川: それはそこのもう一人違う別の編集の方がおられて、そのひとがなんかモーニングの編集長と知り合いってほどじゃないと思うんですけど、たまたまどっかで知り合いになって名刺交換をされたみたいで、
俺ちょっと知ってるからちょっと描いたやつ、見てもらう?って言われて、で見てもらいにいったような覚えがあります。
――それはモーニングの編集の人じゃないですよね。辰巳出版の人が?
前川: そうです。
――紹介してくれたんですか?
前川: あ、その人そのあと辰巳出版を辞めて、自分でなんか独立して会社作られたんですけれど、そのときですね。
あとはドラマ化されたんですけれど描いていて楽しかったのは、領収書物語ですね。あとは、四コマでデビューしたんで、四コマの最初の。
――つかさのおら知らねえ。
前川: そうですね。四コマは結構好きでやってたんですけれど。
――大東京ビンボー生活マニュアルと、それで4つでしたっけ。あと、忍者無芸帖。
前川: あ、それは別に単行本にはならなかったんで。デビューしたという意味ではそれですかね。あとは二色で描いた『三四郎の恋』か、高校球児を主人公にした『無限館よ永遠に』かな・・・。
――『つかさのおら知らねえ』と『ボクの駅弁漂流記』と、『領収書物語』と、『大東京ビンボー生活マニュアル』と、『三四郎の恋』がご自身のベスト5みたいなかんじですね。
前川: いやあ、ベストとは言えないかもしれないんですけど。まあなんかこう描いてて楽しかったかなあと。思い出に残る作品たちですよね。
まあこのへん(『票田のトラクター』)はちょっと週刊誌とかでいちおう連載されたんで、よかったのはよかったんですけれど、絵的にはちょっとつらいこともあったんで、そうですねえ、なんか漫画を描いてるっていうよりも話の中でちょっと絵を、挿絵みたいなかんじで絵をみたいな。そういう印象があったんで。
とりあえず『無限館よ永遠に』も入れてベスト6にしてください(笑)。
――そうなんですね。じゃあまあ今回そのなかから『大東京ビンボー生活マニュアル』と、『ボクの駅弁漂流記』を二つリリースします。
前川: ありがとうございます。ビンボーは何回もあちこちで出していただいたんで、まあ嬉しいんですけど、駅弁は特に嬉しいですね。また新しい人に見てもらえるかなあと思うんで。
――そうですね。カラーですし。
前川: ですよね。あれですよね、駅弁漂流記は今読んでもこういう駅の情景だからそんなに変わりないですもんね。
――そうですね、じゃあ最後に、『大東京ビンボー生活マニュアル+3』と、もうひとつの『ボクの駅弁漂流記』について、なんか、こんなかんじで読んでほしいと、一言いただけたらと思うのですが。
前川: うーん、どうですかねえ。『大東京ビンボー生活マニュアル+3』は、何回も読んでくださる方がいると思うんで、改めて読んでもらって、新しい何かを発見してもらったらいいかなあと。そんなにないとは思いますけど。
で、初めて読まれる方には、なんかこう、昔はこんな生活があったんだなあ、と・・・。そういうのを楽しんで読んでもらえればいいかと思うんですよね。
『ボクの駅弁漂流記』は、4色で自分でも楽しく描いたんで、見てもらって、こういう場所にいってみたいなあとか感じてもらえればいいいかなあ、と思うんですね。
何しろ、2つともちょっと古い作品なんで、そういう時代的なものを感じてもらえれば嬉しいかなあと思います。
――ありがとうございます。
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