多くの漫画家にリスペクトされている漫画家のよしまさこさん。
『BOOBOO』『潮風がいっぱい』『うてなの結婚』『地下室の四季』など35年にわたって、名作を書き続けてきたよしまさこ、はじめてのロングインタビューです。
(取材インタビュー『まんがのほし』編集部)
最初は、ギャグ漫画でデビュー!
――今回、珠玉の作品集という形で、『もう一度あいたい ―せつなすぎる よしまさこ蔵出しベスト』を刊行させていただきました。
この本に収録された『地下室の四季』『潮風がいっぱい』『午後の授業』『赤い電車に乗って』といった珠玉の作品についてのお話は単行本に収録させていただいています。詳しくは本のほうをご覧いただいて。その他代表的な先生の作品がたくさんあるので、ちょっと、総ざらいでお話を伺えたらなと思います。
まずデビューされたのが1979年の『勝負あり!』ですね。
よし: これは、『わかば白書』っていうコミックスの巻末に入ってます。これはとにかく当時の担当さんに、「君はギャグ漫画に向いてるからギャグ漫画を描きなさい」と言われて、そう言われてみれば私、人を笑わせるのが好きかもしれない、と思って描きました。
でも、やはり編集さん主導で描いたっていうのが合わなくて、あんまり自分で描いたっていう気はしなかったかもしれない。これがデビュー作になります。
――これは『マーガレット』ですよね。『マーガレット』に持ち込まれたんですか。
よし: この作品の前に投稿作があるんですよ。投稿作見せましょうか? すごいですよ。家のコタツでシコシコ描いたものです。先日もうちの大学の学生に見せたんだけどけっこう受けてました(笑)。
――『川の行き先』の巻末にちょっと載ってる絵ですか?
よし: あ! そうです。あそこに入ってます。すごい絵でしょ? 少女漫画とはとても思えないような…。
――そこからガラっと絵柄を変えるんですね。
よし: 変えて、少女漫画に合わせるようにしました。その投稿作はとてもじゃないけど雑誌に載せられるようなものじゃなかった。とりあえず吹き出しの中に、無限に近いセリフが入っていて(笑) 内容ももう…無茶苦茶でしたよ。
――川の後ろに入ってますよね。読みましたよ。昔の『漫画アクション』とかああいうところに載ってそうですよね。
よし: わぁ! もう突っ込みどころが多すぎて…。衝撃的すぎて面白いかも…。
秋田書店の『少年チャンピオン』とかね。少年、青年誌に出すべきものを『マーガレット』に出してしまった。
実は母方の祖父母が富山で文房具屋やってたものですから、古い売れ残りのスプーンペンみたいなのが倉庫に山ほど残ってて、ちょっと錆びついたので枠線から線入れまで全部していた。その投稿作は、何本かのペンだけで全部入れたんです。枠線から目の中まで錆びたペンでガシガシと。繊細さのカケラもない(笑)。
――すごいですね。
よし: 客観性がないというのは恐ろしい…。縦横の比率も違ってたりとか。とにかくそれは置いておいて(笑) 新しい作品を描いてくださいと編集さんに言われて、夏休みに描いた読み切りでデビューしました。
――それでそのあとに、連載があって。
よし: そのギャグが面白かったと言われて、『ザ・スキャンダル』っていう連載を10週やりましたが、どうもこれもピンとこない。大学3年の時に大学行かずに週刊誌で漫画連載やってたのに(笑)。
――当時、『週間マーガレット』ではどのようなギャグ漫画が・・・。『つる姫じゃ〜っ』とか?
雑誌側は『つる姫じゃ〜っ』の後継者が欲しかったみたいです。それで仕事したいならギャグを描いてくれって言われて。つる姫は好きだったけど、自分ではこのノリはどうしても違うなっていうかんじで…。まだ学生だったので、学生生活に戻って半年間くらい漫画描かないでいたんですけれど、15ページくらいの『ミス・テイ子』っていうギャグは描いて増刊に載りました。ミステイクのもじりのつもりだったのか…ダジャレの才能皆無…。
――このへんはもう全部・・・。もう残ってないんですか。
よし: 原稿はありますけれども。恥ずかしくて外に出せないです…抹殺します(笑)。
『わかば白書』で1位に。
――そのあとに、『二の字とあたし』ですか。
よし: これも『わかば白書』の巻末に載っています。偽札を持った水商売の女と、それを追っかけてる刑事、みたいな話なんですけれど、これはまあまあバカバカしく面白く出来たかなって。これがターニングポイントになってまた連載の話が来て、今度こそもうやりたいようにやろうと決心しました。『わかば白書』は、だからこそやりたいようにやった。やらないんだったらもう普通に就職して漫画は忘れよう! って思っていました。その時大学4年生でしたから…周囲はみんな就活してました。
――じゃあもう企画からコンセプトから全部、よし先生のほうで『わかば白書』は作って。
よし: そうです。もう全部自分で作るんだ、という固い決心で。
――これはすごい人気出たんですよね。
よし: 大した事はないのですが…初めてアンケート1位とりました。それで連載も10回予定だったのが15回になり、20回くらいになりっていうかんじで伸びて、本当に楽しかった、描きたいことも全部描けたし、プロになって初めての達成感がありました。絵は下手くそだったんですけど。当時の少女漫画っていうのは、主人公が好きな男の子の事は100パーセント全肯定になっちゃうんだけど、『わかば白書』の主人公の若葉は、付き合ってる赤城くんに対してダメ出しをしてしまう。そういうところが新しいとか新感覚とか言われて(笑)。え? そんなのが新しいんだ、女子って普通そうなんじゃないの?、と首をかしげながら描いてました。
――そこらへんがやっぱり人気が出た要素ですか。
よし: 賛否両論だったと思いますけど…特に男の人が嫌がってましたね。私の読者は男性が多くて、手紙くれたのも男性が多くて、こんな尖った漫画はやめてくださいとよく手紙をくれて。まあそれはもう終わるまでまってくださいっていうかんじでがんばってやっちゃって、それで終るまでに尖ったものを出し切ったらほわーっと良い気持ちになって、次の『僕たちのモーツアルト』などはホンワカ優しい気持ちで描きました。
――そこから、『僕達のモーツァルト』は、学生の頃のいろんな思い出を・・・。
よし: ちょうどこの時大学の卒業時で、卒論があったものですから、連載はちょっと無理だっていうことで読み切りの60ページを描きました。学生時代ずーっとバイオリンをやって、いわゆるカルテット、4人一組になって遊んだりしてたのを、学生時代の集大成みたいなかんじで描きましたね。経済学部の卒論で固い文を書く一方で、マンガで卒業制作描いていた感じです。
――これもいい、面白いですよね。
よし: 自然に…あまり悩まないでネームもすらーっと出来て、結構楽しくやりました。まだアシスタントは頼んでなくて一人で描いていた頃です。
『愛さずにはいられない』スタート!
――そこから『愛さずにはいられない』を連載されたんですね。
よし: 大学の卒業式が『愛さずにはいられない』の第一回目50ページの締め切りと重なって、えらい目に遭いました。結局卒業式出られなかったの。ええ。それでフラフラになって大学に行ったらもう卒業式終わったあとで、事務室に行ったら事務室の職員さんたちが授与式をやってくれたんですよ。それで私が受け取って、墨汁のついたボロボロのトレーナで完徹明けで。でもパチパチと拍手をしていただいて本当に感動しました。倒れそうに眠かったけど。
――『愛さずにはいられない』、これは大学、学生の下宿を舞台にされてるんですね、これは神奈川のほうの。
よし: いちおう神奈川大学を舞台にしてるんですけれど、どこだか自分でもよくわかっていません。だいたい六角橋とかあのへんです。あのへんって言われてもピンと来ないか(笑)。
――いちおう取材とかは行かれてるんですか?場所は神奈川大学ですよね。
よし: 写真はバシバシ撮ってるんですけれど。
神奈川大学の中までは入ってないですね。外からとか…あと写真やパンフレットとか見て描いてますけど、中なんかはわかんないから自分の大学の中を描いちゃったりとかしてました。簡単に写真撮れるとこばっかり。だいたいイメージとしては六角橋。東横線でいうところの白楽とか六角橋あたりでしょうか。そのへんの場所ですね。横浜でもちょっと下町っぽいかんじの。食べ物屋さんも多くてラーメン屋さんも多いところです。
(第二回に続く)
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